小金井マクワ
「まくわうり」は、江戸城内で食べるために江戸時代の初期に美濃の国真桑村から農民を連れてきて、現在の府中市と新宿区に御前栽畑(幕府直轄の畑で、現在の農業試験場の機能を持つ)を作り、栽培したものがもとになっています。 「小金井マクワ」は、特に小金井市の農家で代々栽培されていた「まくわうり」に対し命名されたものです。
江戸時代には、「水菓子」(現在のデザート)として大変好まれました。 現在の「デザート」として食べると甘みは少なく感じますが、香りがとても良い瓜です。
※黄金のマクワウリは平成25年9月に「小金井マクワ」に名称が変更されました。以下には、府中と新宿にある御前栽畑についての記述があります。
<JA東京中央会・江戸東京野菜からの転載>
鳴子ウリ・府中御用ウリ

府中の史実によると、徳川氏の入国以後、幕府への上納の例としては、東京湾に面する品川以南の漁師町、「御菜肴八ケ浦」、多摩地方で、多摩川の鮎上納、小金井の御用粟、野菜は、葛飾郡隅田村、府中と柏木で、真桑瓜の栽培・上納が課せられていました。
江戸柏木の成子の御前栽について、文政の『江戸町方書上』、一、当所名産鳴子瓜の儀は、元和年中の頃、専ら作り上納致し侯由。年々瓜畑を選び、反別・持主名前など書上げ作り申し侯由…。」とあり、「鳴子瓜」の名の起こりが説明されています。
府中では、真桑瓜栽培の御用農夫として技術に買われ、美濃国の上真桑村百姓庄左衛門と下真桑村百姓久右衛門の二人が、府中に召し呼ばれました。彼らは毎年二月初めごろに、美濃から府中にきて、御用瓜の栽培を勤め、上納の御用が済んで、夏八月末には、ふたたび美濃へ帰って行きました。美濃と府中との間を、毎年、半年ごとに往来していました。

<栄養>
ウリ類は、90%前後が水分ですが、塩分を排出させるカリウムや血圧降下作用のあるGABAが多く含まれています。
<保存>
新聞などに包んで野菜室に保存します。
完熟しているものは傷みやすいので早めに食べましょう。 未熟のものは漬物などで保存できます。
<お買い物メモ>
完熟度はヘタが取れているかどうかで分かります。 (通常は畑でヘタがとれているものから収穫します。) ただし、料理などで使う場合はヘタ付きのものでも使い道があります。
完熟しているものは甘みは少ないですが、香りがよいので冷製スープや和え物、サラダ、未熟のものは漬物などに向きます。